オリンピックで金メダルの羽生選手は、どのように育ったのか?
羽生結弦選手が、ソチオリンピックに続いて、ピョンチャンオリンピックでも金メダルを獲得し、66年ぶりに二大会連続金メダルの記録に並んだ。
この記録も、もちろんとてつもなく素晴らしいが、
- 怪我を克服しての金メダル
- 前回ソチオリンピックでの転倒を悔いての今回の無転倒の演技
- そして何より、鬼気迫る、見ている人の感情を揺さぶる演技
若干23歳の若者にこれほどの力がどう生まれてきたのか、とても興味深い。
調べてみると、持って生まれた才能だけではない、
家の教育方針や、家族の振る舞いなどが浮かび上がる。
- 自分で決断させ、それを尊重する
- 自分のためのみならず、多くの人の思いをのせる
- 決して奢らず、常に謙虚な姿勢
羽生選手は、4歳から姉についてスケートを始め、当初は喘息の克服だったという。
その後10歳前後で、父は野球を勧めることもあった様だが、羽生選手自らスケートを続けることを決断した。そこから、父親はうるさいことは言わず、一歩引いて支えたという。
このスタンスは、とても重要だと思う。
- 選択肢を適切に与えてあげること。
- 自分で決断させること。
- そして一番重要なのは、その決断を尊重し、支えてあげること。
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その後、めきめきと能力を開花させたが、2011年3月。あの東日本大震災にあう。
羽生選手の地元は仙台のため、被害は甚大であった様だ。
両親は、羽生選手がスケートできる場所を用意してもらう様、
方々に頭を下げて、駆け回ったとの事。
当時のあの状況を振り返れば、スケートなぞをやっている場合ではない。
そういった空気であることは、とても想像できる。
しかし、両親は、今だからこそ、スケートを滑らねばならなぬ。
と考えた様だ。
この意思が、私は凄まじいと思う。
ここに羽生選手の強さの源泉があり、背負っているものの違いがあると感じる。
普通の親では、こんなことはできない。
空気も読んで、とにかく復興を優先してしまうだろう。
でも、羽生選手は、希望や夢という形で、生きる力を与えてくれていると思う。
人が生きる上で、とても大切なものだと思う。
同じような、境遇にはなれないが、
同じ人の親として、育児や教育方針として、このような点は大切にして行きたいと思う。
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