日大アメフト問題 監督とコーチ除名の結果にあえて異議を論じてみる
以前、この問題で、親としての見解を述べた。
被害者の親としては絶対に許せないし、
加害者の親としても、監督やコーチへの怒りはとても感じる。
educatemychildren.hatenablog.com
と同時に、いち社会人、企業の中のいち管理職としての思いも文字にしてみたい。
恥ずかしながら少し矛盾した思いが出てくる。
立ち位置変われば、意見も変わる。
少し勇気を持って語ってみたい。
目次
スポンサーサイト
コーチという立ち位置を中間管理職である自分と重ねたときに
大前提として、監督の間違った、行きすぎた指示に対して、
間違っている、あるいはやりすぎと考えていても、
そのまま選手に指示、プレッシャーを与えたことは、大きな問題であり、責任は重い。
なぜなら、その指示を受ける選手は、拒否することができないからである。
また、試合の際、反則行為が明らかにあった後に止めなかったこと。
さらには、事実なのかは明らかにされていないが、報道にあるようなコーチによる暴力行為などはあってはならない。
一方で、コーチもまた監督の配下で動く中間管理職であるとも思う。
上からの指示に対して、反論できる状況にあったのだろうか?
このような勝負の世界で、反論した場合に、容易に想像できるプレッシャーとして
監督の指示に反旗を翻すのであれば、いちコーチが、それよりも良い戦略をロジカルに提示できるか?
戦略を提示できたとして、ロジカルに納得してもらう事は不可能である。
勝負の世界というのは、論理ではないからだ。
さらに、30以上も年の離れた上司に刃向かう事ができたのだろうか?
現在の自分の姿とも重ね合わせると、非常に苦しい状況も想像できる。
もちろん事実は不明だ。
このコーチは30歳だ。
比較的まだ若いが、アメフト一本でやってきたのだろう。
次の職業はどうするのだろうか?
この方は結婚しているのだろうか?
子供はいるのだろうか?
子供がいたとして、父親を見たときにどう思うのだろうか?
とても不安である。
十分に反省した上で、
是非、チャンスをあげて欲しいと心から願う。
監督について
これは、もちろん責任が重大であり、除名処分も妥当だと考える。
しかし、あえて言うのであれば、
昨年27年ぶりに優勝した。
その成功体験を、今年も実現せねばならない。
そのためには、選手を育てねばならない。
育成のためには、一定の厳しさは伴うものである。
昔は、厳しい育て方をしてきたが、今は働き方改革など、変わってきている。
正直、それもわかるが、結局は強くなるためには、やらなければならない。という本音もある。
去年優勝して、今年もという期待値も高い。
多少の無理をしてでもそれを推し進める必要があるだろう。
(事実はわからないが)監督というのも相談する人がおらず、孤独なものである。
変わり行く世の中の中で、何が正解なのかわからない。
40年の経験も変わりゆく世の中では、判断がブレる。
監督自身も、プレッシャーを感じていたのではないだろうか。
そして、孤独の中、無駄に長い経験を持っているがゆえに、判断を誤ってしまったのではないだろうか。
世論について
メディアに露出する印象での「評価」が恐ろしく強い。
そして、わかりやすいストーリーと、英雄と悪という構図に持って行く力。
そういうストーリーでなかった場合の、あまりにも強い圧力が恐ろしい。
事実かどうかはさておき、 ストーリーが重要となっている。
これは大きな冤罪を生むリスクがある。
こういった状況であることを加味して、世の管理職は振る舞わなければ、明日は我が身であろう。
もし、会社のためにと思って、昔は許されていた不正をいまも行なっている管理職がいたとしたら、それは割には合わないリスクを冒していると言える。
さて、どこまで良い世の中になったのか。
副作用はどの程度あるものなのか。
これで、若者は幸せになるのか。不幸せは消えるのか。
正解はないだろうが、一抹の違和感は残ってしまう。
スポンサーサイト