小学校低学年までにしっかり力を伸ばしておきたい二つの教科
小学校入る前までにひらがなは書けるように。足し算引き算はできるように。
という話はほとんどの子供ができるようになっているだろうが、
早期教育という名の下、
年中のうちに、漢字が書けた。とか
小学校入る前に掛け算ができるようになった。
という話を聞くが、焦る必要は全くない。
上記ができてもほとんどその後に意味はない。
(算数についてはごく稀に、早期教育で革新的に天才になる子もいるようであるが、1000万人に1人、ほぼ10年に一人といった確率とのこと。であるから、もし、無理にやらせようとしなくてもできてしまう子なのであれば、それは才能があると言うことだろう。一方で無理やりやらせようとするのは意味がないどころかマイナスであると考える)
なぜ、意味がないのか。
読者の方も高校や、大学、就職を体験していれば、その時の事を思い出してみたら、直感的、経験的にわかるのではないだろうか?
大学に一番の成績で入ったとしても、その後、必ずしも活躍するわけではない。もちろん自頭が良いので、活躍する可能性は高い。
あるいは、就職の際に、インターンを経験していたり、社会や仕事のことを同期よりも一歩も二歩もリードしている人の10年後はどうだろうか?
就職に限って言えば、全くもって関係ない。確率もほとんどランダムである。
要は、本質的な能力やポテンシャルが重要なのであって、多少同期から差をつけていても、そんなものはすぐに埋まってしまうのである。
小学生における漢字や算数なんて、そんなものである。
では、何が重要なのか?
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結論から言おう。教科で言うと、国語と英語だ。
英語がハードルが高いので、本質的には国語である。
小学校の教科でなく、本質的な力としては、理解力とコミュニケーション力である。
この力は、学問を学ぶこと、社会を学ぶこと、自然を学ぶこと、物を作り出すこと。
あらゆることに根本的な影響をもたらす。
本や授業、友人の話などをきちんと聞き、理解できることが重要である。
理解できれば、判断することが可能になる。この判断力はすぐには精度が上がらない。(判断力は仮説と検証を繰り返す経験が必要だ。ただ、この検証を適切に実施するには、正しく理解していなければ、無駄になる。)
判断した結果を他者へ説明することができると、さらにそこからフィードバックを得られて、また考えることができる。
単純には、この繰り返しが、学ぶことそのものである。
この力が長けていると、
小学校の授業や、塾の授業における効率も増すのはもちろんの事、
日々の生活や、遊びの中でも学習することができる。
最終的に優秀な成果を残す人は、この能力が長けているのだ。
当初の算数の成績なんてどうでもいい。もう少し言えば、無理に偏差値を高めるのも意味がない。誤差の範囲だ。
少し考えればわかるのではないだろうか?
もはや、この現代は、ある瞬間の結果と言うものが、持続性を持ってはいない。
より、本質的な能力が、結果を導き出すようにどんどん改善されているのだ。
ある瞬間の結果を持続的に持つと言うこと、それ自体が利権にしがみつくと言う行為であるからである。そういったものは、Disruptされる。
もちろん、社会の構造がある瞬間の結果というものを重要視する事になっているが故に、そこを一旦のゴールに設定し、競争してきた。それが今までの(というかもう10年以上前にはほぼ崩壊はしているのだが)定石であった。
繰り返すと、現在の区枠された教科というジャンルで言えば、国語(と英語)に注力すべきである。それは、理解力、コミュニケーション能力をつけることによって、他の教科はいくらでもレバレッジできるからである。
そして、短期的な定量的な成果のみを追い求めず、常に長期的な目標を踏まえての短期的な状況を評価していくことが重要である。
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